続!愛をください!

メンヘラのメンヘラによる大衆のためのメディアコンテンツ

気になるあの娘の頭の中は割とマジで普通

高校時代の話をしようと思う。
私の通っていた高校は沖縄で唯一、途中入学制度のない中高一貫校だった。
つまり、中1の頃に作り上げた人間関係が、スクールカーストが、ほぼ変わることなく高3まで反映してしまうという恐ろしい仕組みを持った学校だったのだ。中高生にとっての学校は自分が生きる世界そのものといっても過言ではない。6年間のクオリティオブライフの為にも、中1での立ち位置は非常に重要なのだ………ということに当時13歳の私は気付くこともなく、沖縄の太陽をさんさん浴び、給食をもりもり食べ、ガジュマルの木にぐんぐん登り、一緒に木に登ってた友達にボーイズラブ漫画を借り、読み、更に読み、ネットをあさり、小説を書き、更にBLへの造詣を深め、いつしか休み時間も外では遊ばなくなった頃、私はしっかりとスクールカーストの最下層に位置していた。

余談だがどこの学校のスクールカーストも大体3つの階層に分かれていて、一番上であるバラモンの地位には大抵体育会系の子たちが君臨している。部活でいうところのバスケ部バレー部野球部テニス部サッカー部などだ。ここで間違えやすいのはこの中に卓球部は入らない。卓球も立派なスポーツであるはずなのに、何故だか大抵どこの学校のにも入ってはいない。だから、中高で権力を有したいと思っている中学1年生は間違っても卓球部には入らないように。そんな支配欲旺盛な13歳がこんな中身のないブログを読んでいるとは思えないが。

そしてそのすぐ下の層には吹奏楽部や生徒会などの明るい文化系が入る。

もう結論を先に書いてしまうと、上位2つの階層と下層との主たる違いは、明るいか暗いかなのだ。スクールカーストとはいっても、学校行事やクラス行事の仕切りを上位カーストの人がやるというだけで、それなら確かに明るい人のほうがリーダーには向いている。しかし学校が全てである中高生にとって、行事を仕切るというのは、まるで一国の政治を任されたことのように重要だった。明るい人たちはそれで芽生えたての幼い支配欲を満たし、それを暗い人たちが斜に構えて見ている。カーストという仰々しい言葉が表しているのは、単なる性格の違いなのだ。明るければスクールバラモン、暗ければスクールシュードラ。これはもうカーストというより気があうかあわないかぐらいのものだ。

その上、本来のカースト制度では同じ階級同士のつながりはとても強いはずだが、スクバラ(※スクールバラモンの略)たちはともかく、スクシュ(※スクールシュードラの略)たちはスクシュ全員と仲がいいわけではなかった。まずスクシュ♂とスクシュ♀で完全に分断、そのあとスクシュ♂は趣味や帰り道の違いでぼんやりとしたまとまりができ、スクシュ♀はそれらに加えて外見レベルや異性との接し方、その他色んな要素が考慮されたしっかりとしたまとまりができて固まった。彼らは全員が斜に構えている為、その斜になる角度が少し違っただけでももう一緒にはいられない。彼らは臆病であった。理解してほしいけど否定されるのはこわい。だからおそるおそる近づいて、少しでも自分が傷つく気配や相手を傷つける恐れを感じたら飛びのいてでも安全を確保した。ただのコミュ障なのにこう書くと小動物か何かに見えてくるでしょう。私の作戦です。

そして、そんなかわいいコミュ障な私が高2になったころ。臆病なスクシュたちにゆるやかな仲間意識を持たせるツールができた。そう、かの有名なSNSTwitterである。この「呟き」を共有するツールは、暇さえあればいつも壁や空中に向かって話しかけていたスクシュたちにとっては非常に画期的な発明で、「もうこれからは変質者扱いされずに済むぞ!」とまたたくまに利用者が増えていった。そして、根底にはあったのであろう「あいつも暗そう」という仲間意識と、フォローフォロワーというゆるい繋がりも手伝ってか、いつしかスクシュたちはお互いがお互いをフォローしあっている相互フォローの関係となっていた。ちなみにこの時点で、少なくとも私は他のスクシュと対面で会話したことはほぼ皆無である。しかし、Twitterでフォローしているというだけで、相手が今日一日何を食べ、何を感じ、何を考え、どこに行って、誰と会って、何をして、何時に寝るのかが丸わかりなのだ。逆に言うと、私をフォローしてるスクシュは、私に起こったことや、私の機嫌、受験への不安、他の子への嫉妬、家庭の事情、根拠のないプライド、それと現実とのギャップへの苦悶など、些細なことからプライベートなことまで知っていた。あるものは休み時間に、あるものは授業中にも関わらず、またあるものは授業をさぼって保健室の真っ白な天井を見上げながらツイートをしていた。一切会話はしないけれど、ネット上ではお互いが話し上手聞き上手となって、くだらない雑談から、時には恋人にも話さないような話までした。そうして私はスクシュたちと、恋人「以上」友達「以下」という奇妙な関係を築いてきた。

つい先日、実家に帰省したついでにスクシュ仲間だった2人に会ってきた。会って話すのは初めてのことだったので、軽いオフ会である。緊張しつつ近況を聞くと、1人は現在2浪中で、もう1人は留年していた。2人とも友達といえる友達はいないらしかった。相も変わらずのスクシュっぷりである。私も人生うまくいってないほうだとは思ってたけど、こいつらほどじゃないなと思った。「予備校の自習室でいつ話しかけられてもいいように会話のシュミレーションをしてたらいつの間にか1日が終わってる。」と語った谷川くんは、2浪でありながら偏差値ではなくコミュ力を向上させようとしていた。明らかなミスだ。最近はポケモンにハマってるらしい。お前は何浪する気なんだ。でもそこがなんだか懐かしかった。

今でもTwitterは続けている。しかしスクシュの何人かは大学デビューを果たし、私も何回かアカウントを転生しているので、高校生の頃にあった最底辺に皆でいる感じ特有の居心地のいい一体感は薄れてしまった。それでも、教室のすみっこで視線を落として携帯を睨んでいる人を見かけるたびに、私は真っ白な保健室にただよっていた安っぽいアロマの香りを思い出すのである。

 

 

 

宗教は救いにならない 自殺も救いにならない 愛だって救いにはならない 人を救えるのは常に人だ

このブログのサブタイトルを読み上げてみよう。

 

『メンヘラのメンヘラによる大衆のためのメディアコンテンツ』と、こうある。

 

これは、メンヘラ神である私が、メンヘラではない皆さんに向かって、メンヘラ的思考や行動を掲げ、メンヘラをもっと身近に感じてもらおうとする、いわばメンヘラふれあい広場的なことをコンセプトにして作ったブログだ。

 

だがしかしだ、振り返ってみよう。

私がこれまでにした話は「オナニーが気持ちいい話」と「毛髪が死んだ話」、そして「Twitterが楽しかった話」以上の3つである。

 

 

 

メンヘラの話をしろよ!!!

 

いつまでどうでもいい話してるんだよ!!

あのでかでかと掲げたコンセプトは何だったんだよ!!頑張れよ私!!!

 

というわけで今回は、皆さんお待ちかねのビバ!メンヘラ回です。待たせたね皆!

 

 

死ぬことはとても難しい。

毎日毎日Twitterを見ていて思うのは、これだけの人が「つらい」「死にたい」と言っていながらも毎日を惰性でなんとなく生きているのは、心から死ぬ気がないからではなく、死ぬことがとても難しいからだ。今、これを読んでる皆さんに「楽に死ねるボタン」をお配りしたら、きっと73%はためらわずに押してしまうだろう。なぜそんな具体的な数値が叩きだせたかというと、このブログを読んでる人にろくな人はいないだろうからです。急に読者をdisる。これもまたメンヘラならではですね!ビバ!メンヘラ回!!

話が逸れました。先に進みましょう。

 

 

死ぬことはとても怖い。しかも痛い。

それを進んでやろうとする人は、まず常軌を逸しなければならない。

 

メンヘラの割に怖いのも痛いのも苦手だった私は、まず恐怖心を消すためにジンを一瓶、一気飲みしていた。

ジンのアルコール度数は40度。それを割らずに飲むのはかなり至難の業であり、飲むたびに胃は嫌がり喉は焼けただれていく。その感触を確かめながら私はひとりふらふらになるまで飲んだ。

それから、バスタブにお湯をはり、そこに手首を浸ける。テレビドラマでよく観る「お風呂で手首を切って自殺」というアレだ。高いところから飛び降りるのも、電車に飛び込むのも恐かった私にとっては一番恐くない方法だったのだ。そして、ヘッドホンでサカナクションの「モノクロトーキョー」という曲を流して、サビに入る前に「あーーーーーー!!!!」とボーカルがシャウトするところで一緒に「あーーーーーーーー!!!!!!!」とシャウトしながら剃刀を振り下ろしていた。

 

 

書いてて分かった。

このときの私は、完全に常軌を逸していた。

 

 

 

モノクロトーキョーを20回はリピート再生しバスタブのお湯全体を真っ赤に染め上げた私は、心配になって様子を見に来た友人に救助された。

腕の応急処置を施し、「あれだけの血を流したんだから今日はベッドから動かずに休みなね」と助言して帰っていった友人を目で見送りながら私はおとなしくベッドに転がっていた。

左腕の傷がひりひりと痛かった。酔いが覚めると何故あれだけ死にたがったのかわからなくなるのが私の性質の悪いところだ。私はベッドの中で痛みと共に激しく後悔した。痛い。何でこんなことしたんだろう。生きていればいつかは「生きててよかった」って思える夜がくる、ってアル中でうつ病中島らもは私たち死にたい組を励ましてくれていたのに、私はらもさんの言葉すら信仰できなかったのか。意識が朦朧とする。ベッドに横たわってから数時間、体の震えが止まらない。頭痛と目眩も酷かった。ベッドわきの床に何度も何度も吐いた。その吐しゃ物の中には、血も混じっている………

 

 

 

 

 

 

 

……ん?これあたし死ぬんじゃない??

 

 

 

 

 

自分を傷つけたことと、人に迷惑をかけたことを心から後悔し、明日からは悔い改めて前向きに生きようと決心したまさにその瞬間のヒラメキだった。

 

そういえばバスタブ一杯分ぐらいの血はなくなってるわけだし、止血してもらったからとてその失った血は戻らないわけで……

 

 

 

 

やばい。これ、あたし、死ぬ!

 

 

 

 

そこから先はあれよあれよという大パニックである。色んな人に「血が足りない!!」という献血カーのような電話をかけ、冷蔵庫にあったホウレンソウを生でかじり、ユンケルというユンケルを飲みまくった。今思えば早く救急車を呼べと言う話である。でもそのときはそんなこと思いもつかず、友人に頼んで近所のスーパーからレバにらを買ってきてもらったりしていた。なぜ血液の成分から作ろうとしているのか。そしてなぜそれを友人は何の疑問も持たずに買ってきたのか。全てはパニックの所為であった。

 

それでも止まない体の震え。悪寒。嘔吐。意識の遠のき。死が確実に近づいてきている。

 

私は最後の砦に頼ることにした。

 

 

Googleで検索しよう!!」

 

 

このインターネットに侵された脳みそは、死ぬ直前になっても「救急車」という選択肢を叩きだせなかったらしい。ネット世代は今大変な事になっている。レポートをwikipediaからコピペして、人間関係はSNSに依存、そして自らの死すらネットに相談だ。

 

私は小慣れた手つきで症状を検索窓に打ちこんだ。

 

 

 

『頭痛 目眩 吐き気 悪寒 嘔吐 震え 対策』

 

ターンッ!!

 

 

 

すると、Google先生は以下の答えを導き出してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『もしかして:二日酔い』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は床に転がっているジンの空瓶を見つめた。